【人間失格】人間は自分自身をどのくらい理解しているのだろう

誰かと対話するとき、それは自分自身との対話でもある。
そんなことを感じた一冊だ。

作中、何度も「自分は周りに対し恐怖している」という旨の文が記されている。
「周り」だけでなく、「彼」であったり、「女」であったりとその呼び方は様々だ。

ただ、恐怖の対象は「周り」でもなく「彼」でもなく「女」でもなく、
「道化を含めた自分自身」 だろう。

自分以外の人間が何を考えているか、本質的なところまで理解できない。
理解できないから、恐怖する。

そんな自身を守るために生まれたのは道化だ。
相手が何を考えているかを汲み取り、当たり障りなく周りと接する。
道化を生んだのはもちろん自身だ。

ただ、その道化でさえも自分から乖離し、他人に見えてしまうようになったのだと思う。
きっかけは、道化を演じている自身をクラスメイトに見透かされた時からだろう。

「あわよくば、彼と無二の親友になってしまいたいものだ」

道化がばれた場面での主人公の言葉だ。
主人公の立場からすれば、「彼」はクラスメイトに他ならない。

しかし、読み終えた今改めて見ると、「彼」はクラスメイトではなく道化という解釈の方がすっきりする。
この時、自身から生まれた道化は「他人」に変わった。

作中の始まりから終わりまで、他人に恐怖する心情は存在する。

しかし、結局のところクラスメイトとの出来事を境に、以降は他人には興味などなかったのかもしれない。

「お前は誰だ」、「自分は何だ」
どちらも問いの対象は自分だ。

対話を重ねながら、彼は苦しみながらも最終的に解答する。

そんな彼を周りはどんな目で捉えていたのか。

物語はここで結末を迎える。