利き目について考えてみたら色々しっくり来た話

定理を見つけて喜んでいたら、大昔の人がとうの昔に解明していた。
目玉焼きはソース派。

自分からすると衝撃かもしれないけど、客観的には既に分かっていたり、どうでもいいことだったり、おかしいことだったり。

何らかの形で正体が発覚するまではワクワクする。
大多数は中身が分かるとがっかりするものかもしれない。

今回は、そんな事を感じた体験話です。

利き目

私は右利きである。手も足も右利きだ。
左利きに対する憧れは幼少時代からずっとある。

けれども、「左利きあるある」なんかを見ると、やっぱり大変だと思う。
その理由は言うまでもなく、世の中の大多数の物や仕組みが基本的に右利き基準で考えられているからだろう。

左利きがどのくらい大変かどうか、私は一生分からない。
表面的にしか見えないから、左利きの人が行っている当たり前の事を見ても違和感はない。

結果的に最後には、「かっこいい」という思いが残るのである。

なぜ、「かっこいい」と思うのか。
純粋にマイノリティに対する憧れがあるのだろう。

おそらく、その裏に存在する「左利きあるある」の想像を超えるくらいに。

結局は無いものねだりである。
時として、それは客観的に見ると残酷な事も充分ありうる。

そんな事を思いつつ、「利き腕」で検索していた。

気付けば検索ワードを「利き目」に変えて色々なサイトを見ていた。
そういえば中学校時代の教頭先生だっただろうか、よく憶えていないが「利き目」の話をしたことがあった。多分その時に自分の利き目も確認したはずであるが、それすらも憶えていない。

「利き目」という単語だけはしぶとく残っていたようである。

検索結果には、利き目の調べ方から割合まで存在した。
割合に関しては科学的根拠まで確認できなかった。
どうやら利き手と利き目が同じ場合が割合的には多いらしい。

ネットにある方法を試した結果、整理するとどうやら私は
「利き腕及び利き足は右、利き目のみ左」らしい。

吹けば飛ぶような喜びの後、はっとした。

パソコンを触っているとき、携帯を扱っているとき、文字を書くとき、
対象物は私から見て心なしか左に存在する。

カメラを除くときも左目。
コンセントや間取りの構成上を考慮しなければ、机やプリンタ等大事なものは相対したとき左に存在するように今まで配置していた。

根拠も何もないし、ただの偶然かもしれない。
ただ、「利き目」という仮説自体と照らし合わせるとびっくりするくらいしっくりくるのである。

「環境から利き目が決まるのである」とか反論されると黙るしかなくなるが。

利き腕はともかく、利き目は傍には分からない。

利き目だけに限らない。
世の中には、目に見える表面上の奥に隠れている事がたくさんあるのである。