思い返すと学生時代の集団行動は何の意味もなかった気がする

2019年5月19日

こんにちは。行未です。

もうタイトルからしてひどいですね。我ながらダメ人間だなと思います。

集団行動、嫌いでした。

集団行動、というか強制される系の学校行事ですね。

皆さんもありませんでしたか?

メジャーどころでいうと、体育祭とか文化祭とかですかね。

今回はここら辺について書いていこうかなと思います。

最近の学校事情は細かくは分かりませんし、まして偉そうに言える立場でもありません。
私の時代より変わってることもあるでしょうし。

こんな風に思う人がいるんだなぁ、くらいに見ていただければと思います。

同調圧力がしんどい

何でしょうね。

「俺らが頑張ってるからお前も頑張れ」

「やるならみんなで一致団結して勝とうぜ」

みたいなあの独特の強制感がダメでした。

私なんかはもう練習に参加した時点で負けた気分でした。

同調圧力に屈した自分に腹が立つみたいな感覚です。

何故腹が立つかというと、嫌なら参加しなければいいのに参加したからです。

単純に、参加しなかったその後を考えると怖いんですよ。

「陰口を言われるかもしれない」

「ハブられるかもしれない」

とかね。そんなネガティブな想像が頭を駆け巡るわけです。

その結果、参加してしまう。

まあ、自己嫌悪はありましたね。

一回負けたって思ってしまうともう駄目でした。
その時点でもう、時間の無駄だって感じました。

先導してる人達も実は心の中ではきつかった人とかいるのかもしれませんけどね。

それをやる意味とは?

突き詰めると、「それをやる意味とはなんだ?」に落ち着くわけです。

「それ」というのは学校行事に限定しないんですけれども

普段やっている何気無い事とかもです。

例えば私がブログを書いているのは、一言で言うと気持ちを整理したいからです。

一種の自己満足です。

傍から見ればどれだけしょうもなくとも、一応自分なりに目的があるわけです。

そして、「それをやる意味とはなんだ?」について学生時代を振り返ると、学校行事の大半が当てはまったんです。

「最強伝説黒沢」って漫画の冒頭をご存知ですか?

サッカー中継を仕事仲間と見ていて、表面上はみんなと一緒に盛り上がるんですよ。

ただ、本心は何にも思ってないんですね。自分なんてないんです。

あのシーンは「集団における虚無感」みたいなものをよく捉えてるなーと思います。

自分で選択した結果で完結するなら納得できる

例えば、球技大会とかは楽しかったです。ただ、前提として、

・スポーツが嫌いではなかった。
・参加する競技のみで当日は完結する

という軸が当時の私の中であったからなんです。

特に二つ目が重要です。
「参加競技だけで当日は完結する」です。
勝とうが負けようが恥かこうが納得できるんですよ。

というか納得するしかないんです。自分で選んだ結果なので。

体育祭とかでも競技は選べますけど、強制参加の全体でやる行進とかは本当にしんどかったです。

よくよく考えると、行進の練習ってなんだ?って思いません?
私だけなのかなあ…。

可能なら楽しむ努力はした方が良いとは思う

色々ネガティブな事を書きましたが、可能なら楽しむ努力はした方が良いのかな、と思います。

楽しもうとすることも立派な努力ですから。誰でもできる努力じゃありません。

後、そうした結果本当に楽しくなるかもしれませんから。

置かれた状況の中で、何とか楽しもうとする努力が出来る人は本当に凄いと思いますよ。

少なくとも私はその努力は出来ませんでした。

けど、やっぱり楽しくなるに越したことはないじゃないですか?

そう思えば私の体験談も、こうやってネタにできる時点である意味無駄ではなかったのかもしれません。

タイトルと少し矛盾してますけどね。

「ネット上のタイトルと内容は必ずしも一致しない」という反面教師にしてください。

まあ、数年後に笑い話にしていいのは本人だけだとも思いますけどね。

終わりに

集団行動という未だに学生時代から割り切れない部分についてつらつらと書きました。

でも、可能なら制限の中で楽しむ力を身に着けておくのは良いことだと思います。

もちろん「自分の可能な範囲で」ですよ。下手したら逃げ時を見失うこともありますから。

その見極めもなかなか難しいですけどね。