退職願を出した日。

会社の駐車場に車を停める。
ふと横を見ると、大きい仕事を頼んでいる取引先の社用車が停めてあった。
ドキッとした。私もこの取引先と何回も打ち合わせを行った。

事務所のドアをノックする。
いつもはノックをせずドアを開け、そのまま自分の席に着く。
今日は、反射的にノックをした。

会議室で部長と1対1。
傷病手当の書類を渡す。次の言葉を出すまでに少し時間がかかったような気がする。

「退職の書類を…」と言ったところで、部長が「そうか…残念だな…」と哀しそうに言った。
退職願と退職届、それぞれ多めにコピーして持ってきていた。
日付の欄だけ空けておいたので、その場で埋めていく。

「君は優秀だから勤め先はあると思うし、次でも頑張ってほしい。万が一戻ってくるときは歓迎しますので。」と部長が言った。
素直に、素直に嬉しかった。もしかしたら建前かもしれないけど。それでも嬉しかった。
けれど、優秀ではないです。自分。部長が何をもって優秀と言ってくれたかは分からないけど、
自分自身を俯瞰で見た時、「優秀だったか」と言われると、多分、ノーです。

ファイル、PCのデータ、処分する書類の整理を行った。
メールは当然のごとく溜まっていた。大事な案件は上司が代わりに返信してくれていた。
迷惑かけて本当にごめんなさい。

部長と上司が別の部屋にいる間、他の社員が話しかけてくれた。
「さびしいですね」とか、「良い環境があるよ」とか、「昨日は眠れた?」とか。
暖かい言葉だった。少し涙がこぼれそうになった。
自分が逆の立場だったら、色々考えこんで、声を掛けられずにいたと思う。

事務員さん、 お菓子ありがとうございました。自分の分まで用意してくれてたとは思わなかったです。借りてた本、あげますって言ってましたけど、ちゃんと返しますね。

内線を一本とった。無論私宛ではなく他の社員宛である。内線に出ると少しびっくりしていた。その後、
「おかえりなさい。○○さんいますか?」と言った。
あの時、「おかえりなさい」って言ってくれてありがとうございます。
私が辞める事、分かってる筈なのに。何気ない言葉かもしれませんが、嬉しかったです。

直属の上司と1時間位話した。場所は喫煙所。
色々話した記憶があるけど、憶えている限り綴っていく。

「部長に何て言われた?」と聞かれた。部長とのやりとりを思い出す。頭に浮かんだ言葉をそのまま出した。
「建前だとは思うんですが」と前置きして、「優秀だから次でも頑張ってほしい、と」
すると、上司は、
「半分本音で、半分は建前だと思う」と口にした。続けて、
「優秀は本音」
建前の方は少し記憶がおぼろげである。ただ、
「涙を飲んで次でも頑張ってほしい、と言ったんだと思う」という言葉だけは記憶に残っている。
言葉通りとると、評価はしていてくれたんだろうか。多分、していてくれたんだと思う。

上司が自嘲気味に言った。「自分も半分うつみたいなもんだ」と。
私は医者でもなんでもないので、ちゃんとした判断はできない。
けど、そうなってもおかしくない。上司はそれくらいの仕事量を持っていた。
続けて、言った。「こうやってふざけてないとやってられない」とも。
本音かどうか分からないけど、悲しかった。
上司は、確かに人に対する物言いとか、限度を超えて激しい時があった。
ただ、認めるのは嫌だけど、あの人も本当にきついんだと思う。
そして、悲しいのは何故だろう。頭に浮かんだ2文字は、
「環境」
だった。私の会社、歯車が5段階くらい噛み合ってないのだと思う。
「何でこんなに優秀な人がこの会社にいるんだろうっていう人、どの会社にもいると思うんですけど、自分は上司さんが該当すると思います。」と私は言った。
嘘偽りない、本音である。
すると、上司は「お前もな」と笑いながら言った。
本音だろうか、建前だろうか、分からないけど、嬉しかった。
続けて、「うちは頭回るやつがいない、お前は要るよ」と言った。

「昇給いくらだったと思う?」と聞かれた。答えあぐねていると、ヒントをくれた。
「その1、○○さんと△△さんは3000円」
分からない。○○さんと△△さんはグループ会社の事務員である。
「その2、今吸っているタバコ」
タバコ1カートン分くらいだろうか。1カートンっていくらくらいだったっけ。
頭がてんぱっていた。口に出たのはなぜか、「タバコ1箱分くらいですか」だった。
今考えてもおかしい。自分。
当然、答えはノー。答えは「3500円」
要は昇給額に納得いってないってことだろう。
私は彼女たちの仕事内容を把握してない。しかし、悪いけど、実際そう思う。
研修で彼女たちの勤める会社にいったときのことである。終業時間でもないのに、彼女たちは別の事務員の悪口で盛り上がっていた。
事務所内には、私含め数人しかいなかった。私はいい。他の新人もいる。それを気にせず彼女たちは悪口に花を咲かせていた。
彼女らなりに仕事はきちんとしているんだろう。
だけど、そんな彼女らと500円しか違わないのは、おかしい。
実際、上司も部長に直訴したらしい。上司曰く、
「部長も自分が直訴することは分かってたと思う。けど、部長もうなずくしかしなかった」
続けて言った。
「昇給を決めているのは社長なのよ」と。
そりゃ、やってられんわな。
口も悪くなるわな。
だからといって他の人に態度が横柄なのは絶対にダメだけど。
けど、まあ、気持ち、わかります。横で、あなたの仕事する様子、見てたので。
「怒りを通り越して、呆れた」とも言ってましたね。

上司は近いうちに資格を受けるらしい。
上司に、会社に内緒で関係ない資格を取っていること、言おうと思ったけど、言わなかった。

何故だろう。表面的な言葉は色々出てくるけど、自問自答した結果、
「だから?」という答えが自分から返ってきたから。
表現は難しいけど、「人間的な深さ」みたいなものがあるとしたら、その上司はかなり深いだろう。
そして、私自身に限って言えば、資格を取得したから、深くなるわけでもない、と自覚しているんだろう。
「深いほうが良いとか決してそういうことではない」とか、「そもそも深いって何?」とか、頭では分かるんだけど。

「正義感ある人はウチの会社見ると思うところあるだろうね。そういう意味では君は正義感強いんだと思う」と上司は言った。
話しましたもんね。「社内イベントを行う費用はあるのに、残業代出ないのはおかしいです。順番が逆じゃないですか。」と。
あの時、自分でも珍しく感情的になったのを覚えてます。多分、それを憶えてたんでしょうね。

「君が前にずいぶん前に言ってた、『部署内の風通しが悪い』って言ってたの、まさしくその通りだと思う」と上司は言った。
個人的には、「あなたもその原因の一つではあるんだよ」と思ったけど、言わなかった。
ガンガン仕事しているあなたも、同じこと思ってたんだね。いや、そういえば前々から空気が重いって言ってましたね。
改めて聞くと、やっぱりか、て思いました。
多分ですけど、例えどんな人があの場所にいたとしても、同じように思うのかもしれませんね。

配属して数か月たって気付いた、
「多分、ここでずっとやってけない。遠くない未来、辞めるわこれ。」って感覚。
2年後とか3年後とかの会社の話されても、他所事に感じるあの感覚。
あの感覚だけは生涯忘れないと思う。

「定期的に飲みに行こうよ」と上司は言った。
まだ、こうして辞める段階の話をしていないときの誘いは、正直本当に嫌だった。
色々話した結果、自分の気持ちはどうだろう。
「分からない」というのが正直な気持ち。
今までの事を考えると、「行きたくない」と言いたいけど。
本音では、会社を離れて、数年後とか、自分自身に納得したときには、「行ってもいいのかな」と思っている自分がいる。

帰り道、天気は快晴だった。何となく、今日が雨じゃなくてよかったと思った。